
一発逆転のヨサパーク
赤ワインなどアルコールの飲み過ぎはなぜ悪いか。
アルコールは身体のなかで代謝されアセトアルデヒドとなるが、これが発がん性をもつからである。
さらにビールは微量ながらもニトロソアミンを含んでいるし、バーボン、ブランディなどはウレタンを含むという。
厳密に言えば本来、アルコールは発がん性物質なのである。
かつてD博士らの調査報告でもすべてのがんの原因の三・〇パーセントはアルコールと推論している。
そもそもアルコールは細胞分裂を促進したり、がんの原因となるラジカル分子の産生を抑えるビタミンAの働きを抑えてしまうという。
またアルコールは免疫系の働きを抑える。
高濃度のアルコールは食道がんの原因にもなりやすいし、アルコールとタバコを一緒にとると頭頚部がんや肝がんのリスクが一四倍にはねあがるという報告もある。
胃がん、大腸がん、乳がんの原因ともいわれている。
効用が喧伝される赤ワインといえども両刃の剣である。
アルコール類のCMがあふれる現代で不粋といわれることを覚悟でいうが、飲みすぎることなく、程よい楽しみが大切ということになる。
いま世の中に身体に「いい」といわれるもの(たとえば健康食品)がたくさんある。
これを食べたらがんに効くとか、あるいは長生きするとかいったものである。
ところがこの「いい」とか身体に「効く」ということの意味は案外と曖昧で、科学的に不確かなものが少なくない。
ちょっと気分的にいいようだという暗示的なものから、その人にとって本当にいいと科学的にきちんと実証されたものまで、その内容は正しく玉石混交なのである。
いま脚光を浴びているものの一つにDHA(ドコサヘキサエン酸)というのがある。
商品として売り出され、頭がよくなるとか、大腸がんの予防にもいいというのである。
となると話ははずんでDHAをたくさん含むマクロのトロなどは、寿司のネタとしてだけでなく健康食品として大いに売り出してもいいといわれそうである。
こんな話はほんの一例である。
こういった話には人間の心の自然な流れがあってむしろ微笑ましくさえあるのだが、この種の話が大手をふって一人歩きするのもいかがなものか。
身体に「いい」ということの解釈にはことのほか注意が肝要である。
「いい」といううわさ話だけが巷に一人歩きしてはいけないのである。
それが、本当に「いい」ものかどうか、仮に「いい」ものだとして何に対していいのか、またどのくらいいのか、またなぜいいのかをはっきりとしておかなければならない。
まず本当に「いい」のかどうかを知るための簡単な方法としては、その食品が試験管内テストや動物実験で実際にテストされたことがあるかどうか、もしテストされているのならどのような効果が示されたのかを知ることである。
場合によっては生産者に直接尋ねなければならない。
大変面倒なことではあるが、実はこれが最終的に「いい」といわれるものの真偽を知るもっとも確かな方法であろう。
さらにできれば、「いい」といわれるものが、果たして人間集団に使っても「いい」という科学的なデータがどのくらい出ているかを知ることである。
もしここまで納得できるものが用意されているのであれば、この「いい」ものは本当に「いい」ものとして安心して使ってよい。
だがここまできちんとテストされたものは意外と少ないのが現実である。
さらにきびしくいえば人間集団に「いい」と証明されたものであっても、これが果たして一人の人間に実際に「いい」かとなると必ずしもその限りではない。
これは個人差があるからである。
個人は集団のなかの一人だが、自分は自分であって人間集団そのものではない。
だから「いい」といわれるものが仮に人間集団として証明されたとしても、必ずしも自分に「いい」と言い切るわけにはいかない。
つまり同じ栄養素が身体のなかに入っても、それがどのように消化、吸収され、どのような代謝の過程をもつか、その結果生体にどのような影響を与えるかは、厳密には一人ひとりの人間で違うのである。
だからこそ「いい」かどうか、きびしい話だが究極的に一人ひとりの人間に実証されなければいけない。
ここに「栄養学」の今後に期待される課題がある。
肺がんは喫煙者に多いが、野菜をたくさん摂る人にはそう多くはないという疫学的データに支えられ、野菜に含まれるベータカロテンを使ったがんの予防実験が進められてきた。
事実、いままで米国各地で行われた二〇に近い臨床実験でベータカロテンは少なくとも肺がんと前立腺がんの予防には効くらしいというデータが得られていた。
とくに肺がんの増加が問題になっている現状で、ベータカロテンへの期待は大きかった。
間もなくフィンランドの大々的な実験結果が発表された。
ベータカロテン二○ミリグラムを毎日、二万九〇三三名の男性喫煙者に投与したところ、肺がんは意外にもベータカロテン投与群に一八パーセントも多かった。
その他の疾病による死亡も八パーセント多かった。
この予想外の成績はヘビースモーカーを対象にした特殊のケースだったからではないかとか、投与されたベータカロテンの量が適当でなかったのではないかなど、いろいろな憶測がなされた。
ところがその後、アメリカで行われた追加実験で、最終結論が出た。
ベータカロテンとレチノール(ビタミンA)を健康人一万八三一四名に投与したところ、実験は統計評価の出る五年を待つことなく肺がんはベータカロテン投与群で二八パーセントも多かったという。
しかもその他の疾病の死亡も一七パーセント多く、結局実験は四年間で中止の止むなきに至った。
つまりベータカロテンが肺がん予防に効果的との結果が示されなかっただけでなく、喫煙者、また喫煙の経験のある人にはむしろ有害であるという結論になったのである。
関係者はみんな大きなショックを受けた。
こうなったら以前に米国や中国における研究でベータカロテンが有効だと騒いだ学会発表は何だったのかということになる。
例数がまだ少なかったので結論が早過ぎたといえばそれまでだが、「ベータカロテンがいい!」とみんなが信じ、専門家は国民に大いに推奨してきた。
しかし結局は大嘘をすすめてきたことになる。
ただ新たな反論もある。
いままで研究に使った膨大なベータカロテンはいずれも人工的に合成したものであって天然のものでなかったからこんな結果が出たのではないか、というのである。
そうかも知れない。
しかし天然産のものを使って同じような研究を再開しようという状況にいまはない。
わが国でベータカロテンの効能を最も熱心にすすめてきたのは、いまは亡き国立がんセンターのH先生であった。
H先生は世界のがん疫学のパイオニアのおひとりだったが、もし仮にこの世に生きておられたらこの結果をどのように受けとめたであろうか。
以前フィンランド症候群といわれるものがあった。
フランスのある雑誌(一九九一年)に出ていた小さなニュースである。
食事や健康に関する管理を徹底して行った一定年齢の六〇〇人の人達の心血管系の病気や自殺は、そんなことにあまり関心もなく普通の生活を送った同数の人達よりむしろ多かったというのである。
がんに限らずに血管系でも、「無理な予防」はときに期待外れの結果を引き起こすことがあるらしい。
行き過ぎた安全対策はテロリズムを生むのに似ている。
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